すいません

今年を振り返るもクソもないんで、今歯磨きしてるんですけど歯ブラシ齧りながらホワイト&ホワイトが口から垂れてこないぐらいのあれでざーっと書きますけど。

だから今年どうこうってあれでもないんだけど、とにかく文学とか美学とか、本当に震災どうこうってあれじゃなく、自分の興味の中では後景にすーっと下がっていく現象が、これはいまだに持続しておりましてですね。本当に今年どうこうって話ではないんです。自分には文学が解らないんじゃないか、それはかなりやばいことなんじゃないか。っていうのは以前から感じていて、それが「まあ文学ねえ。うん。まあ。はい」っていうのは抽象的な興味の分野からも具体的な人間関係からも、たまたま今年固まっただけという話で。そこが重要なんじゃないのと言われたらもちろんそうなんだけれど、文学/美学側の人の技術論への批判がいかに具体性に基づいていないかってのは今年痛感したところで。震災の話も含めていいですけど、実学/教養の対比と言えばいいのでしょうか、実学批判もさすがにそりゃ限界でしょ。ってのが偽らざるところと言うか、何にも働きかけない抽象性に価値はあるのか的な。ここ何回かのエントリはまじで自分で読み返しても何言ってるか解らんので今回もかなりそうなる予感がしてきたがこっちは歯磨いてんだよしょーがねえじゃねーか。よし。

だから今年どうこうってあれでもないんだけど、とにかく映画が観れなかった。ここ数週間でまたぼちぼちって感じだけど、「映画的」なものの絶対性への懐疑がずっとあって、その対極にあるのが小津の『非常線の女』とウェス・アンダーソンの『ライフ・アクアティック』だったっていう。『Mr. フォックス』観てねえくせに。ジャンルへの接近とジャンルの破壊、その具体性にしか興味がなくて、つーわけで今年の1位は『ゴダール・ソシアリスム』、もっと言えばアルパカ。『アワーミュージック』を100回ぐらい観たのも今年か。反=美学としてのゴダールは実は最新作が極点じゃないかっていう。

胃痛を抱えながらルーキー・ア・ゴー・ゴーで観たceroの"大停電の夜に"が今年一番の曲です。