fragment 1

阿部和重の『シンセミア』を読んでいた。取り敢えずの振る舞いとして明確な日付を記せば、2007年(平成19年)6月18日(月曜日)から19日(火曜日)にかけてこの書物を、彼は一度目に読了している。さらに記憶を辿ると、18日午前11時10分から12時40分にかけて、H県N市内にある私立大学K学院Uキャンパス第5号別館102教室での講義を受けていた自身の姿を彼はそこに認める。その講義中、壇上の講師の話はまったく耳に入らず、一心不乱に『シンセミア』単行本上巻を読みふけっていた彼は、講義終了後、そのまま教室内に留まり『シンセミア』単行本上巻を読了した後、原付バイクで一目散に同市内の自宅へ戻り、インターネットサイトからの配達を19日午後に指定しておいた『シンセミア』単行本下巻を、ちょうど自宅の前で相対した宅配業者から直接受け取ると、そのまま包みを破って『シンセミア』単行本下巻を取り出し、再び私立大学K学院Uキャンパスへとんぼ返りすると、彼にとって当時最も居心地の良い読書空間となっていた大学図書館にこもって、閉館時間まで読み続けた。その後自宅へ再度戻り、夕食と入浴を済ませた彼は床に入り、そのまま入眠までに『シンセミア』単行本下巻を読み終えてしまった。――以上が、一先ずの事の顛末である。

阿部和重の『シンセミア』を彼が二度目に読むのは、2011年(平成23年)4月1日(金曜日)から5日(火曜日)にかけてである。ここで明らかにしておかなければならないことがひとつできた。それは殊更、明らかにしておかなければならない、などと切羽詰って言う必要もないような、誰もが気づいていたであろう「種明かし」である。「彼」とは私である。「彼」、2007年(平成19年)6月18日(月曜日)から19日(火曜日)にかけて、私立大学K学院Uキャンパス(H県N市)第5別館102号室、同大学同キャンパス内の大学図書館、同市内の自宅、以上三箇所で、阿部和重シンセミア』単行本上下巻を読了した「彼」とは、私のことなのである。では、なぜ私は、自分自身の体験である、『シンセミア』の読了とその読了に際した二日間の事実を詳細に、しかもそれを「彼」などといった虚構の他者の名の下に記さねばならなかったか、目下問われるのは、以上の問題に対する説明責任の、虚構の存在たる「彼」ではない、話者たる私への追及であろう。――そう一息に話すと、MORISAWAは自分の背後にそびえる壁面を指差した。すると、その壁面に点在していたいくつかの染みが、ある一つの秩序を備えてはっきりと彼の目を捉えた。それは、彼が小学校の頃、社会科の教科書で初めて目にして以来よく見知った、H県N市の地図形状に他ならなかった。その中においても一際目を引く、大きく黒ずんだ点の集合が、H県N市におけるあるものを示していると理解した途端、彼は、窪んだ目と頬でニヤつくMORISAWAに目をやった。厄介事は、まだ終わりそうになかった。