『非常線の女』(小津安二郎、1933)

田中絹代は劇中、三度拳銃を手にする。その銃口が火を噴くのは無論三度目においてであるが、田中絹代がタイプを打ち、また岡譲二のオフィスにおいて帽子が落ちるのは二度である。『非常線の女』における「三度目の偶然」が我々にとっての異様な事態を招くことは、小津映画の秩序が「三」という数字を積極的に忌避することの表れだと……。

「異様な事態」が顕現するのはあくまで「我々にとって」の問題である。田中絹代の手にする銃が岡譲二の左膝をとらえ、警官が事態を収束させた後、警官は岡譲二の部屋を捜索し、あろうことか、彼の帽子を床へと落としてしまう。この恐るべき事態に我々は息を飲む暇さえ与えられず、映画はあっけなく終演を迎える。『非常線の女』において秩序の外側に置かれる「三」の数字さえあっけなく収束される警察という機能が、映画そのものの臨界点として設置され、田中絹代の懐からそっと拳銃を抜き取る瞬間を、我々は見逃してはならない。