鈴木謙介「『消費社会論』から見る社会学」 第四回

間々田孝夫『第三の消費文化論――モダンでもポストモダンでもなく』(2007、ミネルヴァ書房
第二章 消費文化とマクドナルド化(1)

1)ジョージ・リッツァ『マクドナルド化する社会』(正岡寛司訳、2007、早稲田大学出版会)。

  • 近代産業における四要素(効率性/計算可能性/予測可能性/制御)が、消費の分野においても見出される。
  • 一人あたりの客単価、回転率等を予測し、マニュアル化によって固定されたメニュー、接客により、消費が「マクドナルド化」。
  • こうして目指された合理化は、社会学においては、マックス・ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の「精神」』に端を発する。
  • 合理化によって可能となった、利益の拡大、技術の革新、商品の普及。1920年代のヘンリー・フォード

2)ジョージ・リッツァの「新しい消費文化」

  • 非合理的装飾により、消費者を「幻滅」と「再魅惑」へといざなう。
    • アラン・ブライマン『ディスニー化する社会』(能登路雅子・森岡洋二訳、2008、明石書店)。
  • 「無(nothing)」。
    • 非場所/非モノ/非ヒト/非サービスによる、「固有性の喪失」
    • 合理化されたモダン消費的商品に、非合理的ポストモダン的付加価値を与えられた商品=シミュラークル


やっぱ今回もちょっとあれなんで、前回以上の書き殴りレポート。


 筆者は、マクドナルド化論の詳細、問題点について言及してきたが、ここでは、ジョージ・リッツァの述べる「マクドナルド化」が、リッツァの論じるほど大きく広がってはいないのではないか、消費においては非マクドナルド的要素も大いに含まれているのではないか、と問題を提起している。
 マクドナルド化の推進してきた原理には、合理性、画一性などの「魅力のなさ」が根底にあるものの、実際のマクドナルドのマーケティングにおいては、店内の装飾、商品のバラエティ豊富さなど、リッツァの述べてきたマクドナルド化からは大きく外れる要素を持っている。また、途上国の人々は「マクドナルドを食べる」ということ自体に、日常性から外れた楽しみを見出している。
 さらに、マクドナルド的チェーン店はマクドナルドのみに限らず、何より、飲食業においては個人経営の店舗をはじめ多彩な選択肢が消費者には与えられており、リッツァの批判はマクドナルド的消費のみにしか向けられていない、という指摘も可能である。
 このように、マクドナルド的消費と非マクドナルド的消費は、モダン消費とポストモダン消費がそうであったように、併存している。そして、リッツァ自身も、前述の指摘に対してはこう返答している。
 リッツァは、非合理的な「楽しみ」を伴ったポストモダン消費の存在と普及を認める一方、それでも、そうした中で拡大していくモダン消費=マクドナルド化に関心を向けている。リッツァは、ポストモダン化の進行と同時に、近代的合理性の進行も起こっていると主張するのである。
 こうした、原理的には対立しているマクドナルド的消費とポストモダン的消費、両者の関係については、リッツァは、最終的にはマクドナルド化が優越する、と述べる。
 リッツァは、マクドナルドとポストモダン両者の補完関係について、「幻滅と再魅惑」と表現している。画一的で退屈なマクドナルド的消費は消費者に「幻滅」を与えるが、そうした消費者に企業は、さまざまな非合理的な「楽しみ」=ポストモダン的要素を提示し、」「再魅惑」する。消費者を飽きさせないためには、この双方が不可欠となる。
 これは、マクドナルド的消費とポストモダン的消費、両者の拡大を意味することとなり、前述のリッツァの主張と矛盾することとなる。しかしリッツァは、マクドナルド化と対立される「ポストモダン」を、個性的で人間味あふれるサービス、「再魅惑」に用いられる「ポストモダン」を、サービスにおけるエンタテイメント性、といった形に区別することでこれを回避している。リッツァは、消費財それ自体および消費行為と、販売促進サービスのプロセスを別様のものとしてとらえているのである。つまり、消費財、消費行為はマクドナルド化されるが、サービスはポストモダン化を続ける、と。
 筆者自身はこうした主張には首をかしげ、消費財、消費行為における非マクドナルド的要素の存在を指摘する。筆者は、マクドナルド化ポストモダン化は、ある主張のもとで切り離せるものではなく、本質的に結びついている、と考えている。
 リッツァのマクドナルド化論は、マクドナルド化の進行を住宅や食品などサービスを伴った消費についてしか言及の幅を持たず、また、消費者にとっての選択肢として他に多く存在する非マクドナルド的要素を捨象してしまっている。こうしたリッツァの分析は、概して消費者の側の心理を見落としてしまっていると言える。消費者がマクドナルドを選ぶのは、合理的なサービスだけでなく、雰囲気やイメージをその利点としている、という事実について目が向けられていない。
 リッツァはポストモダン消費の背景におけるモダン消費の拡大を過大評価してしまっている。モダン消費とポストモダン消費は、このように分かちがたく結びついてあらわれるものである。