鈴木謙介「『消費社会論』から見る社会学」 第五回

間々田孝夫『第三の消費文化論――モダンでもポストモダンでもなく』(2007、ミネルヴァ書房
第二章 消費文化とマクドナルド化(2)

1)マクドナルド的消費

2)非サービス業におけるマクドナルド化

  • 医療
    • カルテの電子化など、体系としてのメソッドを保持。
    • 「医者が足りない」ゆえ、回転率を上げ多数の患者を診察
  • 教育(大学のマクドナルド化
    • 学生を「顧客」ととらえ、あらゆるニーズを満たそうという動き(シラバスによるカリキュラムの開示、飲食店・ATMなどの設備)
    • GPA上位者へのインセンティヴ(学生にとっては「報酬」、大学にとっては将来の卒業生に対する「投資」)

3)「無(nothing)」の拡大

  • 「非場所/非モノ/非ヒト/非サービス」の虚無を埋めるため、「人間らしさ」の回復に向かうのではなく、「体験」としての華やかさ(=ディズニー化)へと向かう

今日は割と喋った。話がダラダラして長いのを直したいぜ。

大学教育とマクドナルド化の関連は、増加を続ける大学の校数から考えられる。1985年には全国で400校程度であったものが、2009年には約800まで増加しており、またこの間、19~22歳の大学進学率は2倍近くになっている。大学の増加と進学率上昇は、高等教育が提供される機会の拡大ととらえられる一方、学生の細分化により教育のあり方が散逸するといった向きも見られる。また、大学進学率は上昇しながらも、少子化により実際の進学者の数には変動がないため、つまりは増えすぎた大学が以前と変わらないサイズのパイを取り合う図式が現在みられている。合理化としてのマクドナルド化は、大学教育の内実を可視化させる方向へ向かう。学期開始以前におけるシラバスへのカリキュラムの開示、学生による授業評価などといった取り組みは、マクドナルドにおけるメニューの紹介とカスタマーセンターに相当すると思われる。また、大学内の設備においても、有名飲食店の出店やiPadの配布のような、学生を「顧客」ととらえた試みが広くみられる。「実学」への志向が特に文系研究室の予算を圧迫している話も知り合いの教授から漏れ聞くが、「消費者(=学生)」が何を求め、何を望んでいるか、そうした需要の合理化が、現在の大学教育には顕著に表れている。

大学生を対象とした企業の採用活動は、合理性の下に集約されたプロセスに沿ってそほとんどがなされる。「自己PR」、「学生時代に取り組んだこと」、「自分の長所・短所」。ほとんどの業務にはある程度の専門性が求められるが(もっとも、その専門性を築く入社前・後の研修も「マクドナルド化」してはいるのだが)、そうした企業ごとの差異は選考過程においてほぼ排除され、ひたすら「これまでの自分」について尋ね「自己分析」を強いられる。学生はそうした採用活動に「受け身」として取り組むが、何十枚ものエントリーシート、何十回もの面接の中で幾度となく繰り返される同じ質問に、自分が「無」としての交換可能な存在であることを痛感せざるを得ないのは事実である。