鈴木謙介 「『消費社会論』から見る社会学」 第七回

間々田孝夫『第三の消費文化論――モダンでもポストモダンでもなく』(2007、ミネルヴァ書房
第三章 グローバル化と消費文化(2)

1)グローバル化が生んだ「非アメリカ的消費」

グローバル化による非アメリカ的消費の例として、ここでは日本におけるヒップホップの受容について述べたい。
ヒップホップはブロンクスブロック・パーティーから生まれたが、またそれは土着性と文化が切り結んだ関係のことをも指す。コミュニティ単位における抗争の延長から生まれたヒップホップは、自らが属するコミュニティに音楽が根差していることが前提とされる。そうしたヒップホップそのものの原理と、日本におけるヤンキーからチーマーへの変遷=コミュニティの再編が、日本のヒップホップ受容の下に共鳴していたと考えられる。
ヒップホップの受容についての技術論的理解とは、無論音楽におけるアメリカのヘゲモニー、ラジオ、テレビ、雑誌等のインフラ環境がまず第一に挙げられるが、ことヒップホップに関しては音楽自体のそうした出自が流通の構造に与している。日本のヒップホップはだから、最初に都市部で広がり、地方からの声が上がるのは(「札幌のTHA BLUE HERB」、「SHINGO☆西成」)、ヒップホップの文法が確立された90年代後半〜00年代以降である。
ヒップホップの受容はチーマーからヤンキーへ、都市から地方へとトポスを移動させたが、これは、リスナー(消費者)にとっての技術論的理解=人類史上初の「純黒人音楽」(白人をマーケットの対象として生まれたものではない)としての「アメリカのユースカルチャー」から、行為論的理解=自らの属するコミュニティに固有の言語の獲得、というプロセスに一致するのではないか。
グローバリゼーションの画一化/多様化の側面は、こうした変遷に対応している。KREVAにせよNORIKIYOにせよ、あるいはファンキーモンキーベイビーズにまでその範囲を広げたとしても、日本のヒップホップに今「中心」は存在しない。画一化と多様化が同時進行し引き裂かれた、奇妙に転倒した「豊かさ」として、今の日本のヒップホップはある。

2)消費者ニーズとしての行為論的側面


消費者ニーズをベースに文化を消費財としてとらえること。ハイブリッド化、脱文脈化による問題。後半はiPodから色々流す大会。